カレンダーにいれてたのにデザフェス今年も行ってない。

会いたかった人の個展にはこの前行ったから、まあとりあえず。いいや。



「どうすれば◯◯になれるか」という話の回答にはいちばんならないであろう話なのだけれど



ああいうイベントとかの風景みて、


あれ、自分のほうがよいものがつくれるのでは?

とか、


ネットをみていて、


うん、自分のほうが上手いのでは?

みたいな


そういうの思うことあるじゃないですか。

私はある。驕るわけでも自意識(は過剰だけどここに関しては)過剰なわけでもないけれどある。


一時期なんかめっちゃやる気、やる気って言い方が合ってるのかわからないけど、つくったり展示したりすることに興味意欲があった時期に考えたことがあって


目の前で物販をしているこの人と私との差はなんだ?


このライブペイントをしている人と私を隔てているものはなんだ?


私にもできそうなのに。


私にもできるであろうことなのに。


それは単純に、


「自分を絵を描く人間と名乗れるかどうか」だった。


それすらしてないようなやつのよ。なんなら今でも。


自信がなくて、なくて、恥ずかしくて


趣味って言葉に逃げて。


別にそれが悪いということではいけれど、私は完全にその言葉に逃げてた。


不完全な自分をそうやってやわらげてた。


馬鹿にされたくないのに。



今私が少しだけそうやって名乗るのは、

他にアイデンティティ的なものがとくにないのもあるけど

私よりも先に、私のことをそう周りが認識していってくれてるからでもある。

絵を描く子だよって紹介されたり

知り合いにこんな子がいるよって話してくれたり 

ああ自分ってそう見えてるのねっていうタイミングがあったから。

私ってボディペイントする人らしいよって。


なんだろうね。

うまく言えないけれど。

そうらしいよ。


どうやって絵描きになるか、とかってたぶんどうやってそれでお金を稼いでいくか、っていう質問なのだと思うけれど


自分が例えばなりたいものがあって、どうやったらなれますかーって聞いた時に「名乗ればもう君はそれなのさ!」とか言われたらキレると思うけど


資格のない肩書きに関して、劣等感や距離感は、「私は◯◯です」っていう自認があればつめられる。そうやって自己紹介してれば他人はそうなんだで済む。技術なり中身が伴ってれば余計に。


誰も彼もクリエイターだのなんだの。

なんて名乗りやすい時代じゃないか。

こんな中でもちゃんと

特別になっていきましょうよ。

なぜ描くのか、という話



みんななんで絵描いてるんですか

とかあんまり聞かないよね

だってまあどうでもいいものね。

そうせずにいられない。

抗えない衝動。

好きなのかしら、楽しいのかしら。


少なくとも私にはひとつ明確な理由がある。
いろいろなこと置き去りにしてこれは私の精神の話。なぜ私が身体に模様を描くのか。

ボディペイントをしていて、たまに「どうしてやろうと思ったのか」と聞かれる

明確な答えはひとつで、「自分が嫌いだから」

私は自意識が過剰で、そのために容姿も内面も、自分を構成するあらゆるものが嫌いでたまらなかった。
弱く汚い肌も、整わない顔も、くせのある髪も、浮いて感じる声も、女性性を満たせない胸も、優しくなく柔軟でない性格も、すべてが嫌いだから。

だから、美しさに憧れてやまなかった。

どうしてもどうしてもどうしても美しくなりたくて。美しくありたくて。諦められなくて。

ペイントは私にとっての仮面で、被服で、化粧だ。

内容に意味なんてなくて
ただただ美しいものをつくりたいだけだ。
美しくなりたいだけだ。

露出ができなかった。
写真にも写らない。写させない。
すべてが恥ずかしくてたまらないから。

身体に描いているときの自分は、唯一「他人に提示すること」を許せる自分。
だから写真に写ることができるし、人前でも身体になら描くことができる。

あいつの顔よりはマシ、あいつよりはうまい、そんなことだって思えてしまうけれど
私が欲しいのは絶対的な美しさだ。
相対的なものなんて瞬間で消えてしまうだろ。

つまり全部ぜんぶ自分のため。

好きか嫌いかで言われたら好きだけど

楽しい瞬間も幸福な瞬間もあるけれど

苦しくて苦しくて満たされないから描いているのよ

自分が嫌いで殺したくなったり捨てたくなったりする
でもこれは、自分が自分のままで美しくあるための闘いだ



mi.